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ヴァイトハース with 東京交響楽団 (2018/5/12)

1人のバイオリン奏者が、1回のコンサートで3つの協奏曲を弾くという、前代未聞のプログラム。

冒頭のティンパニに続く、ブルッフの静かな木管序奏の音が完全に溶け合っていて、充実したリハーサルが行われたことを感じる。

独奏者は、質実剛健な音色の持ち主である。

ブルッフは、何度聴いても感銘を受けることがなく、特に管弦楽の物足りなさを感じて、最近は敬遠していたので、久しぶりである。

演奏が終わると、ホールは大喝采であったが、次のメンデルスゾーンが始まると、音楽としての格が違うな、と感じる。
メンデルスゾーンの持つ気品と完璧な音楽構成は、モーツァルトと並ぶ音楽の頂点ではあるまいか。
そんな風に感じさせるメンデルスゾーンの演奏には、現実には、ほとんど出会えない。
しかし、この演奏は、じんわりと心の深いところに響いて、気持ちが暖かくなってくる。

独奏からだけでなく、管弦楽からも、心に響くものが、同じように伝わってくる。
オーケストラが、独奏者と、共演している、という感覚になる曲であり演奏である。

メンデルスゾーンは、モーツァルトと同様、下手な細工をすると音楽が壊れてしまうので、譜面通り正確に弾くしかない曲だと思うのだが、このバイオリン奏者独特のテンポのゆれや音の強弱が随所にあって、しかも、そこは必ずオーケストラも連動する。
独奏者からニュアンスが適確に提示され、それを指揮者が完璧に受け止めてオーケストラを指揮する。
オーケストラは完璧に指揮に応える。
こうした共感の場が生まれると、メンデルスゾーンの音楽には、このような演奏効果が生まれるのだ。

指揮者はまだ若いが、その小柄な身体から繰り出されるバトンテクニックの完成度は高い。
協奏曲であっても、管弦楽からは、この指揮者の音楽が聴こえてくる。
管弦楽作品を振ったらどんな音楽になるのか、聴いてみたいものだ、と思わせられる魅力があった。

ブルッフを聴いていた時には、もう少しバイオリン独奏に音色の魅力が欲しいな、と思ったりしたが、メンデルスゾーンの第一楽章を聴いていて、この音色だから、こんな風に、管弦楽を共に1つの音楽を造り上げることができるのわけか、と思うようになっていた。

その「共演」の魅力が最大限に発揮されていたのが、第二楽章だった。

メンデルスゾーンは、名曲ではあるが、バイオリン協奏曲にしては、独奏部はシンプルに書かれている。
独奏者が、管弦楽と対等に渉り合うには、存在感のある音色を持っていなければならない。
ということなのだな、と思わされた。

このバイオリン奏者は、ソリストとしてコンサートを渡り歩いている演奏家たちとは、明らかに何かが違う。
彼らが持っていない引き出しを、この奏者は、たくさん持っている。
例えば、このメンデルスゾーンにしても、この曲をどれほど弾き込んでも出てこないようなイマジネーションを感じる。

なるほど、この奏者が、ソリストではなく、弦楽四重奏団のバイオリン奏者の道を選んでいるのは、そこなのかも知れない。
きっと、メンデルスゾーンの室内楽作品を、とことん追求していればこそ見えてくる、この作曲家の作品を演奏するためのツボのようなものがあり、それが見えていると、この協奏曲についても他の演奏家には見えない、さまざまな生かしどころが観えてくるのではあるまいか。

そんなことまで考えてしまうほどに、感銘深い演奏だった。

そんな演奏の後に、同じ独奏者、同じオーケストラで、チャイコフスキーを聴いてみると、これは、まるで違うコンセプトの音楽である。

独奏バイオリンが演奏している間の管弦楽は、メンデルスゾーンの対比すると、手抜きかと思えるほどにシンプルで、脇役に徹している。
これは、独奏者とオーケストラとの共演を楽しむ作品ではなく、とことん独奏バイオリンを堪能するように書かれた作品なのだな、と気づかされる。

そんな中でも、このバイオリン奏者は、カデンツァのあとでの、無窮動が続く部分が、オーケストラと重なる箇所にくると、テンポをぐっと落として、ここからは楽章の締めくくりに向けてオーケストラと共に盛り上げてゆく、という意思を明確に示す。
その結果として、第一楽章が終わった時点で、拍手したくなる衝動を感じる演奏となった。

ここで独奏者は、これは彼女のこだわりのミュートなのかな、と思われる木の弱音器を装着する。

ここで曲想を換えるために音色を変えたい、という作曲家の意図はわかるのだが、独奏バイオリンに弱音器を付けさせるという協奏曲というのは、他にあっただろうか。
実際、この楽章を、弱音器をつけないで演奏するバイオリン奏者も多い。
が、ここで、こだわりのミュートをつける。

第二楽章は、卓越した演奏技巧を要求する両端楽章を比べると、独奏部は驚くほどシンプルである。

だが、この奏者の音色と木製ミュートとの組み合わせは強力で、その音色は母なるロシアを感じさせ、別世界が表出する。

この楽章では、独奏楽器が目立つ必要はない、管弦楽の一要素として聴こえれば、それで充分、という見切りが感じられる。

ここは、というところに来ると、ホールの後ろまで音が届くだろうか、というところまで音量を落とす。
ホールの音響と聴衆の傾聴への全幅の信頼あっての表現だろうが、そこに寄り添うオーケストラの、独奏の最弱音を殺さない伴奏術は、プロの技である。

第三楽章になっても、独奏者は、微塵の疲れも感じさせない。

こんな前例ができてしまうと、聴衆は、だったら、こんな風にとことん独奏者の魅力を堪能できる企画を、もっとやってくれ、と期待してしまうのではないか。

というか、次の企画を期待する。

同行者は、「独奏者の人間性が良く出た演奏だ」と感じ入っていた。

東京オペラシティシリーズ 第103回
2018年05月12日(土) 14時 オペラシティ
齋藤友香理 指揮 東京交響楽団
ヴァイオリン アンティエ・ヴァイトハース
ブルッフ        ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 op.26
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35

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