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2017年10月

歌舞伎座 「マハーバーラタ戦記」 (2017/10/19)

歌舞伎なんて、随分久し振りだ。
無論、新装後の歌舞伎座は初めてである。

せっかくの機会なので来てはみたものの、古典ではなく新作、しかも、題材はマハーバーラタなので、どんなもんかな、と思っていたが、終わってみると、むしろ新作で良かった。
思い返してみると、過去面白かった歌舞伎はいずれも新作で、古典で楽しめた記憶がない。

この作品も、まずは神様の揃い踏みなのだが、冒頭はガムラン風の音楽が流れる歌舞伎らしからぬ異色な光景で、どの神様も金綺羅金で、どれがどういう神様なのかが直感的に把握できず、ちょっと取っ付きが悪かったが、以後は、所作も服装も、今まで色々な歌舞伎のどこかで見たことがあるようなものになるので、難なく物語を楽しめる。

蜷川演出のように、英国のシェイクスピアでさえ、日本に舞台を移しても立派に成立して、それも日本人のみならず、本場英国人すら楽しめるのであるから、東洋の神話を歌舞伎で演じることができたとしても、ある意味、当然であろう。

とは言え、海外のモチーフを歌舞伎に取り込むについては、蜷川幸雄や黒澤明などの実験的取組みが参考になっている部分も色々あるのだろう、と思わせられる。

とりわけ、後半の戦闘シーンの連続は、蜷川演出を観ているかのようだった。
つまり、戦闘シーンの演出について、1つの型として確立している、ということなのだろう。

世界の神話については、それなりに知っているつもりでいたが、この神話は全く知らなかった。

神様同士の意見が一致しないのは、ギリシャ神話もゲルマン神話もそうなので驚きはしないが、2人の神様が、同一の女性に自分の息子を産ませる、というモチーフは珍しい。

プロットとしては、血を分けた兄弟間の悲劇とするための伏線ということになるが、神話は脚本ではないわけだから、それだけのためというのは考え難い。
神の恩寵を得られるのは王族の女性だけ、というのは、インドの文化から考えれば理解できる。
未婚の時の神の子は川に流し、結婚後の神の子は他の兄弟を共に育てる、というのは、まあ分かる。

1つ不思議なのは、対立する2つの王国の片方の王位は、女性が継承していることで、男子がいないのはらともかく、彼女には弟がいる。
そして、彼も姉が王位を継いでいることでに不満を持ってはいない。
つまり、王位継承権は、男女関係無く出生順ということになる。
もしこれが、女性が確たる存在感を発揮している東南アジアの神話であれば驚きはしないが、男尊女卑のひどい文化を持つインドの神話であるのは、インド人の深層心理には、何かあるのかも知れない。

あるいは、現代インドでも、女性首相がいるわけだから、上流階級だけは、男女の地位が同等なのかも知れない。

(あとで解説を読むと、これは脚色で女性にしたということだった)。

それにしても、日本人には馴染みのない題材の新作で、これほどの観客が集められるのには、驚かされた。
上演中の物音はほとんどなく、見事に観客の心をつかんでいる。
日本の伝統芸能が、外国神話の新たな表現を生み出す力を擁していることにも驚かされた。
しかも、明らかに、未だに、大衆芸能としての支持を失っていない。

これは、どんな題材であれ、観客の心をつかめる型を持っている芸能の強みだろう。

自分の席で飲食できる、というのも、如何にも歌舞伎であるが、30分しかない休憩時間で、平日の昼であるから、観客の8割は女性で、しかも、その多くの高齢者で、間に合うのか知らん、と見ていると、大半が10分ほどで食事を終えている。
おしゃべりをしてなければ、そんな時間で済む、というのも意外な発見だった。

結構喉が渇き、終演後、どうしても歌舞伎ソフトというのを食べたくなり、迷った挙句、栗を選択したら、本当の栗の実がたっぷり入っていて美味。

新作歌舞伎 極付印度伝 マハーバーラタ戦記
2017年10月19日(火)11時 歌舞伎座
脚本 青木 豪
演出 宮城 聰
迦楼奈(カルナ)            尾上菊之助
シヴァ神                 同上
鶴妖朶王女(ヅルヨウダ)      中村七之助
道不奢早無王子(ドウフシャサナ)  片岡亀蔵
百合守良王子(ユリシュラ)     坂東彦三郎
風韋摩王子(ビーマ)          坂東亀蔵
阿龍樹雷王子(アルジュラ)     尾上松也
梵天                    同上
納倉王子(ナクラ)           中村萬太郎
我斗風鬼写(ガトウキチャ)      同上
沙羽出葉王子(サハデバ)      中村種之助
汲手姫(クンティ)           中村梅枝・中村時蔵
森鬼飛(シキンビ)           同上
弗機美姫(ドルハタビ)        中村児太郎
帝釈天                  中村雁治郎
那羅延天                尾上菊五郎
仙人 久理修那             同上
太陽神                 市川左團次
大黒天                 坂東楽善
多聞天                 坂東彦三郎
亜照楽多                坂東秀調
羅陀                   市川萬次郎
破流可判                河原崎権十郎
森鬼飛                 中村梅枝
森鬼獏                 尾上菊市郎
我斗風鬼写              中村萬太郎
弗機王                 市川圓蔵
弗機美姫                市川児太郎
拉南                   市村橘太郎
行者                   市川園蔵

ノット指揮 東京交響楽団 (2017/10/15)

演目が、ハイドンとモーツァルトだけ、という珍しいプログラムである。

「ハイドンの透明な響き」という言葉は知っているが、交響曲の冒頭は、「これが透明な響きか」、と感じられる演奏で始まる。
そして、響きが透明だと、確かにハイドンの音楽は、心に沁みてくる。
ハイドンを耳にして退屈に聴こえることが多いのは、この響きが出せていないからなのだ、と気づかされた。

ハイドンとモーツァルトのコンサートというのは、ひょっとすると休日の午後には、最適な音楽かも知れない。
どちらかと言うと、昼に聴く音楽である。

続くチェロ協奏曲は、ハイドンとは思えぬ難技巧が駆使されている。
彼が、演奏者の当てがない曲を書くとは思えないから、きっと楽団に名手がいたのであろう。

独奏者は、それをさらりと弾いてしまう。
アンコールのバッハの無伴奏も、技術的に全く瑕がない。
これだけの体格があれば、肉体への負担が最小な演奏ができるであろうから、体格に合わせた楽器選定の好事例とも言える。

休憩を挟んで、今度はモーツァルト。

この曲を良く知っている同行者は、終演後、ハラハラドキドキの連続であった、と語っていた。

まず序奏が、伝統的な演奏の倍速で進められて驚かされるが、主部に入ると、伝統的なテンポとなる。

確かに、旋律を弦から管に受け渡す時、一瞬の間が空いたように聴こえた箇所がいくつかあった。

また、弦から旋律を受け取った管のフレージングが、弦とは違って聴こえたところが割と目立った。

第四楽章の入りでは、第一バイオリンの息が少し合っていなかった。

では、モーツァルトのシンフォニーの演奏として不満足だったか、と言うと、満足だった。

そこが、実演を楽しむ、という行為の面白いところだと思う。

はっきりしているのは、安全な演奏のモーツァルトはつまらない、ということである。

FMなんかで聴いていると、確かに、ハイドンとモーツァルトは似ているな、と感じるが、この日の演奏では、両者は、まるで似ていない。

その個性の違いを際立たせるチャレンジを、指揮者は狙っていたのかも知れない。

そうであれば、モーツァルトはリスクを取った演奏になるのが当然で、その姿勢が伝わってきたからの満足感であったようにも思う。

川崎とは違って、ここでは、この指揮者とこのオーケストラとの組合せに対するファンの数は限定的なのが見て取れたが、逆に、本当にこの演奏を聴きたい人だけが来ている、という雰囲気があり、ホールの響きも、この二人の作曲家に寄り添っていたように思う。

こういうプログラムの演奏会は大切にしなければ、と思った。

東京オペラシティシリーズ 第100回
2017年10月15日(日)14時 オペラシティ
ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団
ハイドン    交響曲第86番 ニ長調 Hob.I:86
ハイドン    チェロ協奏曲 第1番 ハ長調 Hob.VIIb:1(独奏 イェンス=ペーター・マインツ)
モーツァルト 交響曲 第39番 変ホ長調 K.543

新国立劇場 「神々の黄昏」 (2017/10/7)

この「指輪」の最後を飾る作品について、評論家が、「裏切りに次ぐ裏切り」という解説をしていて、あらすじと管弦楽編曲しか知らない身としては、音楽から受ける印象とはまるで違うので、見当がつかないでいたが、なるほど、これは物の見事に、負の連鎖に次ぐ負の連鎖の物語である。

終盤近くまでは、ハーゲンという、ヴェルディのオペラにも登場する悪の狂言回し役が全体を動かしている構図に見えていたのだが、結局、彼も、指輪の呪いにより滅んでしまう。

そして、終曲で、バイオリンの美しい旋律が流れ込んで来ると、これでようやく、4つの楽劇の中で連鎖していた負の流れが終わったのだ、と心の深いところで感じたらしく、しみじみとした涙があふれてくる。

この旋律に、このような意味が込められていることは、そこまでの物語を体験しないと、決して感じることは出来ないだろう。
ワーグナーが、どうして楽劇という形式の音楽にこだわったのか、実感することが出来た。

それにしても、前回の「ジークフリート」に続いて、今回も、最後に、ブリュンヒルデが、いいところを独り占めである。
彼女は、「ワルキューレ」から登場しているわけだから、この連作の主役は、彼女なのであろうか。
少なくとも、今回の配役は、そう考えても差し支えないほどの名歌手であった。

だが、感動の真の主役は、オーケストラかも知れない。

前半は、例によって、淡白な疲れないワーグナーだな、と感じながら聴いていたが、第二幕と終幕と終盤のオーケストラは、がらりと様相を変えた盛り上がりを見せ、聴衆は、一気に別世界へと連れ去られる。

長丁場の作品であるから、おそらく指揮者は、とりわけ金管陣に対しては、ペース配分を丁寧に説明したのだろう。
最後の最後まで、途中で力尽きたような音は、聴こえなかった。

特に、この最後の楽劇で印象的なのは、それまでの連作で使われた動機が、自由自在に現れ、聴衆が、その前の3日間に体験した物語を想起するように配置されていることだった。

ということは、作曲家には、この大団円のイメージがまずあり、ここに導くには、どういう音楽的展開と物語展開とがあれば、それを実現できるか、という形での構想展開があり、それを脚本と作曲の両方でどう構成するか、のイメージもインスピレーションでき、それを数十年という時間をかけて書き上げることが出来ただけでなく、現実世界では、それを上演できる劇場を造ってくれるスポンサーを篭絡することまでする、というメフィストフェレスでもできないことを成し遂げた人物なのだな、とも思えて来る。

だったら、ヒトラーが心奪われ、ここからドイツ民衆の人心をあやつるイメージを得てしまっても仕方ないと思えるほど、民族心理の深層に降りている。

ワーグナーとヒトラーの両者に流れているのは、悪のイメージである。

作曲家は、親友の人妻にも手を出す、卑劣な人格の持ち主でもあったらしいが、そこから生み出されるアウトプットの素晴らしさには、被害者も納得してしまう、というのは、分かる気もする。

それに共鳴した政治家が、核兵器を持たなかったのは真に幸いであった、というところまで想いが及ぶ演奏だった。

ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指輪」第3日 「神々の黄昏」
序幕付き全3幕/ドイツ語/字幕付き
2017年10月7日(土)14時 新国立劇場
指揮 飯守泰次郎
演出 ゲッツ・フリードリヒ
ジークフリート   ステファン・グールド
ブリュンヒルデ   ペトラ・ラング
アルベリヒ      島村武男
グンター       アントン・ケレミチェフ
ハーゲン      アルベルト・ペーゼンドルファー
グートルーネ    安藤赴美子
ヴァルトラウテ    ヴァルトラウト・マイヤー
ヴォークリンデ   増田のり子
ヴェルグンデ    加納悦子
Kフロスヒルデ   田村由貴絵
第一のノルン    竹本節子
第二のノルン    池田香織
第三のノルン    橋爪ゆか
新国立劇場合唱団/二期会合唱団
読売日本交響楽団

青木尚佳 @白寿 (2017/10/4)

1曲目は、モーツァルトのロンド。

コンクールに優勝した高校時代からの最も大きな変化は音色であろう。

豊かで艶やかになった。

これで演奏に歌が感じられるようになったら言うことはないのだが、今ひとつその音色を楽しめない。

メロディアスな中間部に来たところで、どうしてだろう、と耳を澄ませてみると、どうも音の輪郭がはっきりしない。
どうやら、ビブラートが、このホールで弾くには、大きく速いからのようだった。
ここは、もう少し、浅めでゆっくりしたビブラートで聴きたい、と思った。

クライスラー三部作も、もう少し、ウィーン風な色気を感じたい。

リヒャルト・シュトラウスのソナタは、演奏者には、とても人気があり、採り上げられることが多いが、聴き手としては、あまり魅力がないので、最近は、プログラムで見掛けると、敬遠気味になっていた。

この演奏でも、これだけ音響の良いホールなのに、音が舞台の上で鳴っている感じで、客席に向かって音が飛んで来ない。
しかし、これだけ演奏者の技術力が高いと、この曲は、ピアノパートのみならず、バイオリンパートも、難曲であることが、はっきりと聴き取れたことは収穫だった。

プログラム最後の「薔薇の騎士」のワルツのバイオリン編曲になったら、俄然、音が客席に飛んでくるように感じられる。
この演奏家は、難技巧を駆使する曲になるほど、音楽に生命を与える才能を持っているようだ。

この感覚は、アンコールのクライスラーになっても変わらず、バイオリンの魅力を満喫できる演奏だった。

このバイオリン奏者を初めて聴く同行者は、すっかり気に入った様子。

ジャニーヌ・ヤンセンを聴いた時の印象に近い、と言う。

「どうしても眞子さまが弾いているように見えてしまう」とも語っていた。

第129回 スーパー・リクライニング・コンサート
青木尚佳 ヴァイオリン・リサイタル
2017年10月4日(水)15時 白寿ホール
ピアノ 中島由紀
モーツァルト  セレナーデ 第7番 ニ長調 K.250 「ハフナー」より 第4楽章 ロンド
クライスラー  美しきロスマリン、愛の悲しみ、愛の喜び
R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18
R.シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」より “ワルツ” (ブシホダ編)

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