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2017年6月

新国立劇場 楽劇「ジークフリート」 (2017/6/17)

このワーグナーシリーズが始まって以来、日本で高度なワーグナー演奏が聴けることが当たり前みたいな感覚になっているが、おそらく、これは嬉しい誤解なのであろう。

今回は、まずはヴォータンの声である。
姿を見ずとも、声だけでその役と判ると、鑑賞がとても楽になる。
それだけでも、このキャスティングは素晴らしい。

そして、極めつけは、第三幕の演出であろう。
ブルンヒュリデの目覚めの場面は、歌唱なしの動きの少ない演技なのに、目は舞台に釘付けになってしまった。
そして、終わってみれば、この公演の印象は、ほとんどブルンヒュリデ一色である。
美味しいところを全部さらって行く、とはこのことだろう。
それくらい、第三幕は、見せ方の上手さを堪能させられた。

この楽劇は、「指輪」四部作の中では、単独で上演されることはまずないし、物語の進行上は、つなぎの要素が大きいため、幕毎に、場面が大きく変わり、話も着々と進んでゆく。
音楽的にも、管弦楽曲集では、採り上げられるのは「森の音楽」くらいで地味な演目の印象があるが、実際に聴いてみると、内容満点である。

同行者は、作品の長大さから考えて、管弦楽のリハーサル回数は限られているはずなのに、演奏の完成度が高いばかりでなく、オーケストラの演奏から、随所に、音楽に対する深い共感が感じ取れたことに感じ入っていたが、確かにそうである。
チェロパートからは、ゆったりとしたビブラートが完璧に同期しているのが聴こえたし、小鳥たちに話しかけようと主人公が製作した葦笛のお粗末な音色を、ファゴットが見事に表現していたところも、公演全体の中での見せ場になっていた。
こんな引き出しを用意していたファゴット奏者は、いったい誰なのであろうか。

また、この作品では、チューバのソロが多用されている。
チューバ奏者にとっては、滅多にない檜舞台であろうが、ソロとしての出番が限られているだけに、大変だったはずであるが、指揮者の意図が確かに音になっている、と感じさせる響きで一貫していた。

帰りの電車の中で、同行者は、小鳥役の配役を確認していた。
覗いてみると、日本人キャストのオペラであれば、タイトルロールを張れる実力者ばかりである。
とびきり上等な休日の午後を過ごした満足感があったが、この贅沢な配役を見れば、納得である。

楽劇「ジークフリート」
2017年6月17日(土)14時 新国立劇場
演出  ゲッツ・フリードリヒ
飯守泰次郎指揮 東京交響楽団
ジークフリート   ステファン・グールド
ミーメ        アンドレアス・コンラッド
さすらい人     グリア・グリムスレイ
アルベリヒ     トーマス・ガゼリ
ファフナー     クリスティアン・ヒュープナー
エルダ       クリスタ・マイヤー
ブリュンヒルデ リカルダ・メルベート
森の小鳥    鵜木絵里 九嶋香奈枝 安井陽子 吉原圭子
          奥田花純

依田真宣&須関裕子 (2017/6/9)

バイオリンの演奏会を聴いて、ピアノ奏者の方が心に残る、ということは多くはないが、本日のピアノ奏者は、そうした1人で、次に聴けるのはいつだろうか、とずっと思っていた。

が、モーツァルトが始まってみると、バイオリン奏者もいい。

柔らかな音色が、弦楽器ならではの喜びを与えてくれる。
オーケストラのリーダーらしく、伴奏にまわった時の弾き方も好感が持てる。

ピアノは、以前に比べて、バスラインがはっきり聴こえるようになった。

バイオリンでは出せない低音がしっかり聴こえることで、バイオリンの音がむしろ好ましく聴こえてくる。

また、次のストラヴィンスキーでは、バスラインを生かしつつ、バイオリンと重なる音域の音量には抑制が効いていて、心憎い。

この曲のピアノパートが魅力的に聴こえることは、あまりないのだが、今回は、古典に回帰したようでありながら、時々見せる現代的な響きが意識して弾き分けられていて、作曲家の意図が少し見えてきたように思えた。

ツィガーヌの前半の無伴奏部分を聴いていると、このホールは、弦楽器の特性を聴かせる音響を持っているな、と改めて認識させられる。
ピアノも、モーツァルトが始まった時、ベーゼンドルファーかな、と思って見ると、スタンウェイだった、という具合である。

バイオリンがフラジオレットで弾く部分では、ピアノ奏者は楽譜から目を離し、やや上方を向きながら、手がイメージのままに動くに任せていたが、ここはラベルのピアノ音楽の美しさが最高度に現れていて感動した。
ラヴェルの音楽は、感覚には訴えてきても、心に響くことはあまりないので、これは初めての経験かも知れない。

また、この曲でのピアノは、ロマ音楽らしいリズム感もよく刻まれていて、音楽を格段に魅力的にしていた。

バイオリン演奏を楽しむには、優れたピアノ演奏が欠かせない。

1時間の演奏会だったが、たっぷり2時間聴いたかのような余韻が残った。

2017年6月9日(金)15時 白寿ホール
第126回 スーパー・リクライニング・コンサート
依田真宣&須関裕子 デュオ・リサイタル
モーツァルト      ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K.301
ストラヴィンスキー  イタリア組曲
チャイコフスキー   アンダンテ・カンタービレ
ラヴェル         ツィガーヌ

モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」 (2017/6/5)

改装後、初めて訪れる武蔵野である。
と言っても、改装前は、小ホールはともかく、大ホールは、お世辞にも音楽ホールを言える音響ではなかったので、改装したと言っても期待はしていなかった。

が、来てみると、通俗名曲のプログラムではないにも関わらず、思いがけず大勢の聴衆が集まっている。
開演直前にぐるりと眺めて見ると、ほぼ満員である。

そして、楽員が登場する時の、演奏前から共感に溢れた拍手の感じは、いつもの、地元武蔵野の年金世代ではなく、この楽団とこの曲を知る人たちが、聴衆の主体であることを示しているように思われた。

演奏が始まってみると、改装前の音響からは想像も出来ない音の抜けの良さである。

小編成のバロックオーケストラなのに、音量も充分。

その上、音楽ホールで聴いても聴こえてこない撥弦楽器の音が、分離して聴こえて来るので、これが、素朴なバロックらしい雰囲気を醸し出す。

バイオリンも、各パート1丁しかないのに、管楽器が鳴っている時でも聴こえてくる。

いったい何をどうしたら、これほど音響が変わるのであろうか。

以前は、舞台後方の反響板の音響効果が明らかにおかしく、舞台後方の楽器の音ばかりが聴こえていたが、今は全くそんなことはないので、何か工夫をしたのだろう。

材質を替えたのか、はたまた、秘密の塗料でも塗ったのか。

演奏の質も期待以上に高い。

管弦楽は、今や、日本のバロックアンサンブルは世界水準だと思うので、それほど違いは感じないが、声楽の響きは驚くばかりである。

初期バロックの作曲家であるから、作曲手法は、ポリフォニーが基本だと思うのだが、耳が感じるのは、この作曲家ならではの音楽の躍動感と和声の美しさである。

宗教音楽であるはずであるが、深刻なところはほとんどなく、聖なる世界というより、生の喜びの世界を感じる。
その意味では、バッハの世界よりも、ハイドンの世界との親和性を感じる。

この日は、NHKのカメラが入っていた。
有人が3台、無人も3台。
1曲ごとに歌手が次々と立ち位置を替えてゆくのを全て予め調べ上げてアングルのシナリオを準備しているのであろうか。
どんな番組になるのか知らないが、収録に値する演奏であったことは確かである。

聴衆の反応は素晴らしいに尽きる。

遠く東洋まで来て、都心ではない演奏会場でバロックを演奏するのに、これほど多くの聴衆が詰めかけ、そして、この反応だったら、演奏家たちは、さぞかし嬉しかったことだろう。
そんな風に想わせられる、後味の良い演奏会だった。

コンチェルト・イタリアーノ モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」(全曲)
2017年6月5日(月)19時 武蔵野市民文化会館 大ホール
リナルド・アレッサンドリーニ指揮 コンツェルト・イタリアーノ
モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」

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