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2017年4月

宮内庁楽部 雅楽演奏会 (2017/4/23)

まだ四月であるが、まさしく五月晴れ、と言いたくなるような好天の皇居である。

大手門から入場し、楽部は?と尋ねると、この先の坂を登るように言われる。
上の方に、休憩所以外に、何か建物があっただろうか。

一応、所々に、楽部→ みたいな案内はあるのだが、とにかく広いので、見当がつかない。

こちらかな、と行ってみると、物見櫓(やぐら)だったりしたが、ようやく到着。

荷物検査と身分証明を済ませて室内に入ってみると、雅楽の舞台がでんと構えていて、その脇の僅かにスペースに、パイプ椅子よりも更に小さな折りたたみ式の木の椅子がびっしりと並べられ、まだ開演には30分以上あるのに、既に大勢の人が座っている。
実は、雅楽ファンは大勢いる、ということなのか、それとも、単に、物珍しさであろうか。

開演15分前になると、まだ少年と呼んでも良さそうな二名の若者が琵琶を運んでくる。
続いて、同じ若者が、琴を運んでくる。

楽器には見えない白い陶器も運ばれてくる。

雅楽に詳しい同行者によると、これは火鉢で、笙(しょう)は、常に体温程度に暖め続けないと、音が出ないのだ、と言う。

天井を眺めてみても、空調装置らしきものは見えない。
だから、演奏会は、春と秋なのだろうか。

昨日、弦楽四重奏を聴いた銀座のバーも、昭和の遺物のようなビルの中にあったが、こちらも、相当に年季が入った建物なのかも知れない。

時間になると、舞台右奥から、冠位束帯姿の楽士たちが静々と入場し、一人また一人、と舞台に上がって行く。

先頭の楽士は、向かって右手の小さな太鼓。
最前列中央は大きな太鼓。
最前列左手は小さな鐘。
第二列は、右から、琵琶、琴、笛が、2名ずつ、それぞれ縦二列に並ぶ。
その後方に、左に篳篥(ひちりき)、右に笙が各3名。

英語のアナウンスでは、Orchestraと呼んでいたが、確かにそうかも知れない。

コンサートマスターは小さな太鼓らしく、彼だけが、深々と頭を下げる。

演奏は、まず、少数の楽器が鳴り始め、それから合奏になる。

演奏の骨格は、笙が和音を響かせている中に、篳篥が旋律を吹く、というもので、笛は、オーケストラならトロンボーンみたいな立場で、篳篥の旋律を支える場面が多い。

琵琶と琴は、合いの手にしか使われない。

鐘は、小さなフライパンみたいな形状で、常に太鼓の裏でしか鳴らない。

曲は、注意して聴けば、少しずつ変化しているのだが、聴き慣れない人には、同じパターンが、延々と繰り返されているようにしか聴こえないだろう。

笙の不思議な響きは、神仏に捧げる音楽であるところから来ているのであろうが、これは、聴く者の意識を遠のかせる効果がある。

二曲演奏されたが、終結は、琵琶と琴だけになる点は共通。

後半は舞楽である。

きらびやかな衣装をまとった人たちが登場したので、彼らが踊り手か、と見ていると、舞台の後の、言わばオーケストラピットに相当する場所に座ってしまう。

確かに楽士たちが着替える時間が要るから休憩を取るのだ、とアナウンスしていたが、驚くほどの変わり様である。

そこに、静々と、踊り手たちが入場してくる。
こちらは正装、つまり、冠位束帯なので、楽士たちより地味に見えたりする。

舞は、両手を広げた、衣服が良く見えるような姿勢が基本で、そこに動きを入れてゆく。

ゆっくりしていて、これも同じパターンを繰り返しているように見え、少し退屈したりするが、ふとした瞬間に、その姿が、はっと美しく見えたりする。

踊り手は、1曲舞い終わると、舞台から退出してしまう。

楽士たちも起立して会釈をして退出するが、残っている人たちもいる。

やがて、次の踊り手たちが入場してくる。

こちらは、全員、犬だろうか、それとも狐だろうか、という面をしている。

動きは、前の曲よりもずっと多い。

ふと気づくと、笙の音がしない。

ほとんど、篳篥と笛で音楽を作っている。

そして、前半の管弦では使われなかった、舞台両脇にそそり立つ太鼓が、時々、ドン、と打ち鳴らされる。
どうも右と左とで、少し音が違うようである。

後で同行者に聞くと、韓国渡来系の舞楽の場合は、笙は用いず、小さな太鼓も使わないのだとか。

それにしても、この椅子だと、だんだんお尻が痛くなってくる。

10時半開演で、12時終演。

張り出してあった時間割を見ると、3日間にわたり、午前と午後1回ずつの公演をしているようだった。

春季雅楽演奏会
2017年4月23日(日)10時半 宮内庁楽部
管弦
 壱越調音取(いちこつちょうのねとり)
 北庭楽   (ほくていらく)
 壱団嬌   (いっときょう)
舞楽
 桃李花   (とうりか)
 皇仁庭   (おうにんてい)

タレイアカルテット @銀座 (2017/4/22)

先日聴いたセミプロの弦楽四重奏団が、銀座のバーで演奏するという話に、何故か心が動いた。
聴いてみて、室内楽とは、本来は、こうしたサロンで聴く音楽だからなのか、と納得した。

これまで何度か、世界的に著名な弦楽四重奏団の演奏を、室内楽を聴くのに良さそうなホールで、それなりのお金を払って聴いてみたが、恐ろしいまでに精緻に構成された演奏なのは分かるけれども、逆にそれが息苦しく、自分の人生にとって必要な音楽とは感じなかった。

だが、今日は、生の音楽を、演奏者のすぐ傍で聴くことがとても楽しい。

最近、コンサートホールへ足を運ぼうというモチベーションが落ちてきていて、どうしたのだろうか、と思っていたが、ホールの座席に座って音楽を聴く、という形式に飽きてきたのかも知れない。

1曲目のベートーベンは、交響曲の1番2番とも似て、モーツァルトに似ていても、モーツァルトとは別物であるところを、感じ取れ切れていない感じがある。

その点、第三楽章は、曲そのものに、もはやスケルツォみたいなリズム感があって、そこをしっかり感じ取ってリズムを刻むので、音楽が俄然生きてくる。

第四楽章は、すっかり活き活きとしたベートーベンになっていた。

バルトークは、先週ホールで聴いた時には、何か向こうで凄いことをやっているみたいだな、だったのが、ここでは渦の只中に巻き込まれた感じで、こうして聴くと、バルトークは確かに音楽である。

特に、第二楽章以降は、作曲家が、どういう構想で音楽をイメージしたのかが、聴いていて、伝わって来る。
やはり、音楽を聴く時には、こんな風な感じ方をしたいものである。

後半は、まずヤナーチェク。
生でも何度か聴いていて、難解な音楽、とのイメージだったが、バルトークの後に聴くと、調性感もあって、ぐっと後期ロマン派に近い。
演奏には、まだ改善の余地はあるが、かなりヤナーチェクの世界に入り込んで来ているな、と感じさせる。

プロコフィエフは、これまで演奏して来た曲の中では、弾き込みの足りない部類だろうな、とは感じるのだが、その一方で、演奏者の共感が押し寄せてくる。
特に、二人のバイオリン奏者からはぐいぐい押し寄せてくるものがあり、音楽って、演奏の完成度云々ではなく、聴衆として感じたいのは、まずこれだよな、と思う。

このバーは、床は布張りだが、それほど深くはなく、天井は木張りで、これが音の抜けを良くしているので、残響は、個々の楽器から聴こえてくるものだけで充分、と感じさせる。

最近、クラシックを演奏するライブハウスはいくつもあるが、実際に音を聴いてみて、音楽を演奏する場としてはどうかな、と思うことがほとんどである。

その点、この場所を誰が選んだのかは知らないが、見識を感じた。

また、革張りソファーに寛ぎながら聴く室内楽、というものの贅沢感も良く分かった。
チェロが低音を、えいやっ、と弾くと、ソファーの革がぶるぶると震えるのだ。

2017年4月22日(土)16時 St. Sawaiオリオンズ
Thaleia Quartet (山田香子、大澤理菜子、渡部咲耶、石崎美雨)
ベートーヴェン  弦楽四重奏Op.18-3...
バルトーク    弦楽四重奏 第4番
ヤナーチェク   弦楽四重奏 第1番「クロイツェルソナタ」
プロコフィエフ   弦楽四重奏 第1番
ピアソラ     リベルタンゴ

タレイアカルテット @藝大 (2017/4/19)

今晩は、藝大生と大学院生による弦楽四重奏の無料演奏会である。

前半は、バルトークと現代音楽というプログラムであるが、客席は意外な盛況。

バルトークはバルトークなので、作曲家がどんな着想を得て、こういう音楽を作ったのか、聴いていて、さっぱり分からないのだが、意外に飽きない。
チェロの演奏に躍動感があり、これが演奏全体に生気を与えていたようだ。

また、全員がまとまって弾く局面では、個々の楽器の音ではなく、全体として1つの場としての響きが鳴っており、なるほど、弦楽四重奏団としての音を持つまでにはなっているのだな、と感じた。

次の現代曲は、まとまりは良いのだが、演奏者たちが感じているであろう曲の魅力が、客席までは届いていないもどかしさがあった。

演奏が終わってみると、作曲者の西村朗氏が客席から姿を見せる。

なるほど、同じ時代を生きる作曲家の作品を演奏するということは、作曲家自身に演奏を聴いてもらえる、ということでもあるのだ、ということに気づかせられた。

このような経験は、とりわけ、若い音楽家にとっては貴重なものであろう。

これに比べると、後半のベートーベンは、手さぐり感を感じさせる局面が多かった。

なにしろ、ベートーベンでも後期の作品である。
これを、若手奏者たちで弾こうというのだから、楽譜を音にすることは出来ても、音符に共鳴し切れるところまでイメージをはぐくむことは容易ではあるまい。

そんな中で、緩徐楽章の冒頭は、ベートーベン後期特有の、この作曲家が、晩年に到達した、しみじみとした境地を示す響きが表現されていて、若者には最も難しいそうに思える部分で、逆に、こんな演奏ができるのか、と驚かされる。

この楽章は、続いて、動きのある音楽が現れ、再び静かな音楽に戻るのだが、冒頭の再現ではなく、静かな中にも動きのある音楽になっていて、四人全員で集中して1つの響きを作るわけにはいかない構成に変わる。
そうなると、なかなか冒頭のような深い響きが作れない。

おそらく、響きを構成する楽器の数が減る中で、冒頭の印象を崩さない響きを維持することを作曲家は求めているのであろうが、実際の楽器の動きを眺めていて、こういうことをしながら、冒頭同様の深遠な響きをどうしたら作れるのか、見当がつかなかった。

でも、そういうことが判ったので、この曲については、世界の一流カルテットが、この部分をどう弾くか、一度聴いてみる価値はあるな、と思えた。

タレイアカルテット トライアルコンサート
2007年4月19日(水) 東京藝術大学第6ホール
バルトーク    弦楽四重奏曲第4番
西村 朗     弦楽四重奏曲第5番 ”シェーシャ”
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番

新国立劇場 歌劇「オテロ」 (2017/4/12)

NHKラジオで源氏物語の講義を聴いていたら、キーワードとして「宝物」という言葉を使っていた。
光源氏は、正妻である葵の上を大切にせず、藤壺との不義に走った。
つまり、彼は「宝物」を見誤った。
人生で宝物を見誤ると、人生の歯車が狂う。
結局、彼の人生で最も大切なパートナーであった紫の上さえ、彼が、皇女である女三の宮を正妻に迎えざるを得なくなったことで、誇りを奪い取り、死を迎えさせてしまう、という論理を展開していた。

この論理の源氏物語のおける適否はともかく、「オテロ」という物語には、これがぴたりと当てはまる。

聴衆の目から見れば、妻デスデモーナは理想の女性に近い存在であり、オテロが、誰よりも信じ愛すべき存在である。

しかし、オテロは、イアーゴの競争相手の方を昇格させたにも関わらず、イアーゴが、依然忠実な部下であると誤認し、妻よりも彼を信用してしまう。

ここから人生の全ての歯車が狂い出し、築き上げた栄光も、愛する妻も失う。

前半が終わったところで、同行者は、観ていて歯がゆい、と嘆いていたが、物語の骨格は、必ずしも不自然ではない。

オテロは、ベネチア海軍を率いているのだから、部下たちと過ごす時間の方が、妻と過ごす時間よりも、はるかに長い。

そして、妻は、若いゆえに、夫が、ムーア人であることの劣等感を深層心理に秘めていることには気づけない。

夫は夫で、美しい妻の肉体に溺れ切ってはいるものの、ムーア人である自分に、これほど美しい女性が、自分のものでいてくれることに、常に一抹の不安を宿している。

もしオテロが、円熟した男性として、自分の劣等感が要らぬ不安感を醸成していることを客観視するだけの見識を備えていたら、イアーゴと妻との優先順位を見誤ることはなかったであろうから、彼は、武功に優れるあまり、精神は素朴なまま、高い地位に立ってしまったのであろう。

そして、デスデモーナは、そんな彼を、素直に愛してしまうだけの女性であった。

イアーゴは、一見すると、この物語の狂言回しの位置にいるように見えるのだが、これまでの公演では、どうも現実にはあり得ない人物設定のように感じられ、しっくり来なかったが、今回、初めて、それらしいイアーゴに会えた。

これは歌手の実力もあるが、それ以上に、作曲家がこの人物を描くために紡いだ音符を、指揮者が、適確に選び取って、音にしていたことが大きい、と感じられた。

一見すると大悪魔のようであるが、結局、自身の妻から真実を暴露されて逃げる羽目になるのであるから、オテロは手の内に入れることができても、妻を手の内には入れられぬ程度の悪人に過ぎない。

確かに、彼が恨んだオテロは死んだが、真相がばれた彼の軍人としての地位はお終いだから、彼も破滅である。

最後に笑う者が誰もいない、シェイクスピア劇であった。

オペラ「オテロ」/ジュゼッペ・ヴェルディ
全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉
2017年4月12日(水)19時 新国立劇場
【指 揮】パオロ・カリニャーニ
【演 出】マリオ・マルトーネ
【オテロ】カルロ・ヴェントレ
【デズデーモナ】セレーナ・ファルノッキア
【イアーゴ】ウラディーミル・ストヤノフ
【ロドヴィーコ】妻屋秀和
【カッシオ】与儀 巧
【エミーリア】清水華澄
【ロデリーゴ】村上敏明
【モンターノ】伊藤貴之
【伝 令】タン・ジュンボ
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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