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新国立劇場 歌劇「オテロ」 (2017/4/12)

NHKラジオで源氏物語の講義を聴いていたら、キーワードとして「宝物」という言葉を使っていた。
光源氏は、正妻である葵の上を大切にせず、藤壺との不義に走った。
つまり、彼は「宝物」を見誤った。
人生で宝物を見誤ると、人生の歯車が狂う。
結局、彼の人生で最も大切なパートナーであった紫の上さえ、彼が、皇女である女三の宮を正妻に迎えざるを得なくなったことで、誇りを奪い取り、死を迎えさせてしまう、という論理を展開していた。

この論理の源氏物語のおける適否はともかく、「オテロ」という物語には、これがぴたりと当てはまる。

聴衆の目から見れば、妻デスデモーナは理想の女性に近い存在であり、オテロが、誰よりも信じ愛すべき存在である。

しかし、オテロは、イアーゴの競争相手の方を昇格させたにも関わらず、イアーゴが、依然忠実な部下であると誤認し、妻よりも彼を信用してしまう。

ここから人生の全ての歯車が狂い出し、築き上げた栄光も、愛する妻も失う。

前半が終わったところで、同行者は、観ていて歯がゆい、と嘆いていたが、物語の骨格は、必ずしも不自然ではない。

オテロは、ベネチア海軍を率いているのだから、部下たちと過ごす時間の方が、妻と過ごす時間よりも、はるかに長い。

そして、妻は、若いゆえに、夫が、ムーア人であることの劣等感を深層心理に秘めていることには気づけない。

夫は夫で、美しい妻の肉体に溺れ切ってはいるものの、ムーア人である自分に、これほど美しい女性が、自分のものでいてくれることに、常に一抹の不安を宿している。

もしオテロが、円熟した男性として、自分の劣等感が要らぬ不安感を醸成していることを客観視するだけの見識を備えていたら、イアーゴと妻との優先順位を見誤ることはなかったであろうから、彼は、武功に優れるあまり、精神は素朴なまま、高い地位に立ってしまったのであろう。

そして、デスデモーナは、そんな彼を、素直に愛してしまうだけの女性であった。

イアーゴは、一見すると、この物語の狂言回しの位置にいるように見えるのだが、これまでの公演では、どうも現実にはあり得ない人物設定のように感じられ、しっくり来なかったが、今回、初めて、それらしいイアーゴに会えた。

これは歌手の実力もあるが、それ以上に、作曲家がこの人物を描くために紡いだ音符を、指揮者が、適確に選び取って、音にしていたことが大きい、と感じられた。

一見すると大悪魔のようであるが、結局、自身の妻から真実を暴露されて逃げる羽目になるのであるから、オテロは手の内に入れることができても、妻を手の内には入れられぬ程度の悪人に過ぎない。

確かに、彼が恨んだオテロは死んだが、真相がばれた彼の軍人としての地位はお終いだから、彼も破滅である。

最後に笑う者が誰もいない、シェイクスピア劇であった。

オペラ「オテロ」/ジュゼッペ・ヴェルディ
全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉
2017年4月12日(水)19時 新国立劇場
【指 揮】パオロ・カリニャーニ
【演 出】マリオ・マルトーネ
【オテロ】カルロ・ヴェントレ
【デズデーモナ】セレーナ・ファルノッキア
【イアーゴ】ウラディーミル・ストヤノフ
【ロドヴィーコ】妻屋秀和
【カッシオ】与儀 巧
【エミーリア】清水華澄
【ロデリーゴ】村上敏明
【モンターノ】伊藤貴之
【伝 令】タン・ジュンボ
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】世田谷ジュニア合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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