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2017年2月

二期会 「トスカ」 (2017/2/19)

このところ、日本人キャストのオペラにやや飽きてきていたので、この公演もパスするつもりでいたのだが、本日のトスカ役が、昨年末、第九を歌っている声を聴き、考えが変わった。
そして、この日も、このソプラノが登場すると、一気に音の情景が変わった。
やはり、オペラは、この水準の歌手が1人は登場しないと、音楽に魂が入らない。

同行者のお目当ては指揮者であったが、確かに非凡な管弦楽である。
確かに、ここは、このように演奏した方が、プッチーニに音楽が生きるな、と思わせられるところもあれば、プッチーニの楽譜から、こんな響きを引き出せるのか、と驚かされるところもあった。

第三幕のテノールの絶唱の裏で鳴るクラリネットは、素直に演奏すると、それだけでお涙頂戴の音楽になるが、それを、敢えて、最弱音の上に、ビブラートを掛けさせて吹かせていた。
更に、独奏チェロのビブラートも極端に大きく、ある意味、通常の音楽表現としての許容範囲を逸脱している。
悪辣な権力者によって殺され、恋人と引き離される時間が迫っているシーンを、単なるお涙頂戴の音楽にしてはならない、という指揮者の断固たる考えを感じた。
この解釈に対する評価は、今回4回あった公演全てを聴いてみないと下せないように思う。

同行者は指揮者にすっかり惚れ込んでしまい、この指揮であのオペラも、このオペラも聴いてみたい、どうして今日はサイン会がないのだ、とあれこれつぶやいている。

同行者は、スカルピアに同情していて、彼は可哀想な人だ、と言う。

配役上は典型的な悪役でありながら、トスカも、その恋人も、彼の手のひらの上で操られる存在に過ぎない、という狂言回しの位置にいるため、脇役でありながら、公演の出来不出来を左右する鍵を握っている。

如何に聴衆に憎まれるかが勝負の役だと思っていたが、悪魔の化身のように描かれれば描かれるほど、どこか現実感が薄れ、悪役としての効果が薄れるような気がしていたのだが、確かに、情欲のためには手段を選ばぬとは言え、彼は、あくまで人間であって、悪魔ではない。

人間に生まれながら、悪魔のような所作をするからには、そこには相当の事情があるはずである。

それに、権力に物を言わせて、どれほど情欲を満たしてきたとしても、彼の魂は、孤独ではないだろうか、という洞察には、頷かされるものがある。

時は体制末期であるから、政敵を粛清しなければ体制維持はできない。
スカルピアは、ただ時代に順応してきただけの人物であり、あの時代は、こういう人物を必要としていたのだ、とも言える。

その意味では、最近、日本の近辺で起きていることとの符合があるようにも感じられる。

今回は、たまたま、本日のスカルピア役が体調不良で降板となったため、昨日の同役の連投となったので、歌い切れるだろうか、と心配しつつ聴いていたのだが、限られた声帯の耐久力を慎重に配分した歌唱が、逆に、常に冷静な計算を失わぬ人物らしさを浮かび上がらせ、作曲家が、この人物に何を見ていたのかを感じ取れる表現になっていたようでもあった。

指揮者も歌手たちも、オーケストラに惜しみない拍手を送っていたが、これは本心であろう。

この公演に、この指揮者とこのオーケストラとの組み合わせを構想したのが誰なのかは知らないが、この決断の果実は大きい。

トスカ オペラ全3幕
日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
2017年19日(日) 14時 東京文化会館
演出   アレッサンドロ・タレヴィ
ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 東京都交響楽団
二期会合唱団 NHK東京児童合唱団
トスカ        大村博美
カヴァラドッシ   城 宏憲
スカルピア      今井俊輔
アンジェロッティ 山口邦明
堂守          峰 茂樹
スポレッタ     高梨英次郎
シャルローネ   高橋祐樹
看守        大井哲也

ユルゲン・エッスル & ファッサン・ラスロ オルガン・コンサート (2017/2/16)

2人のオルガン奏者の競演という珍しい趣向である。

のはずなのだが、会場に来てみると、ピアノの調律の音が聴こえる。

舞台の上には、左手にスタンウェイ、右手に可愛いオルガン。

まず1人目の奏者が登場し、オルガンを弾き始める。
いずれも古そうな音楽である。

このオルガンは、奏者が客席の方を向いているので、指の動きが見えるわけでもなし、目を開けていても何の情報も得られないので目をつぶっていると、意識が遠のく。

前半の最後に、もう1人の奏者が登場。
彼はピアノに座り、2人による即興演奏が始まる。

まずピアノ奏者が、シンプルな動機を提示し、それにオルガン奏者が少し変化を加え、という具合に、ほとんど一小節単位で受け渡している感じで演奏が進んで行く。

流石に両名とも変奏のバリエーションが豊富で、音楽は如何様にも変化させられそうだ。

後半は、その2人目の奏者が登場。

まずオルガンを弾くが、1人目ほど古風な音楽ではない。

そして、弾き終わると、ピアノに移動して演奏。

同じ曲を楽器を換えて弾く趣向か、と思って聴いていると、次第に変化してくる。

という具合に、まずオルガンで基本となる曲を演奏し、ピアノでは、それにアレンジを加えてゆく、という趣向を繰り返す。

しかし、お終いのハイドンとモーツァルトだけは、アレンジ演奏はなし。

そして、再び2人で登場して、即興。

アンコールも、2人で即興。

このアンコールで、初めて1人目のオルガン奏者がピアノを弾いたが、タッチが美しく、和音の選択も繊細で、驚かされた。

ユルゲン・エッスル&ファッサン・ラスロ オルガン・コンサート
2017年2月16日(木) 19時 武蔵野スイングホール
ユルゲン・エッスル  ファッサン・ラスロ(共にポジティフ・オルガン)
バッハ               パルティータ「おお、汝正しくして善なる神よ」BWV767
モーツァルト      アンダンテ K.616
ハイドン           「音楽時計のための作品集」より
パッヘルベル    アポロンの六弦琴
フローベルガー  トッカータ 第2番
フレスコバルディ、スウェーリンクの作品、ほか

レイ・チェン with 新日フィル (2017/2/4)

久々のトリフォニーである。
何と最寄りの地下鉄の出口を忘れていた。

本日の独奏者は、国際コンクール優勝から間もない時期のリサイタルを聴いたが、優勝副賞で貸与を受けた繊細な名器にバリバリと圧力を掛けて弾くので、本来なら倍音が響くはずの帯域に多量のノイズが聴こえ、技巧はあるので、会場はやんやの喝采であったが、全く楽しめなかった。

なので、しばらく様子を見ていたのであるが、あれからずいぶん時間も経ったし、今回は協奏曲であるから、もしスタイルが変わっていなくても、それなりには楽しめるかも知れない、と足を運んでみることにした。

演奏が始まってみると、何とも優美な音色である。
この曲は、正にこのような音色で弾かねば、と思わせる。

そして、第二主題の手前で、テンポがぐっと落ちる。

ここのオーケストラコントロールは完璧で、且つ、今まで気づかなかった音が聴こえてきて、これがバイオリン独奏を引き立てるように絡む。

ひょっとすると、この指揮者は只者ではないかも知れない。
会場の音響を生かしての低音の響きも実に心地良い。

この協奏曲は、旋律は、如何にもロマン派であるが、全体は古典的に書かれており、主観を込めると逆効果になり易いのだが、かなり独自な表現をしていながら、音楽表現として成り立っている。

この感性は、ロマン派というより、東洋人を感じさせる。

カデンツァ近くになり、低音を多用する箇所に来ると、前回聴いた時のような、ノイズが出る奏法を執るが、中音域から上は終始美しい。

第二楽章に入ると、がらりと気分を変えることに成功している。

そして、そのことが、演奏効果を大きく引き立てている。

やはり着実に場数を踏んできているだけのことはあり、その経験値に見合った引き出しを獲得しており、それを適確に使っている。

だが、第三楽章は、独奏の持ち味を出しずらいシンフォニックな構成になっていることもあり、それまでの演奏ほどには魅力的にならない。

なので、曲全体の演奏の質の割には、拍手には、聴衆の興奮は、あまり感じられない。

アンコールは、パガニーニとバッハ。

バッハは、無伴奏パルティータ3番のガボットで、軽い演奏になり勝ちなこの曲を、旋律以外の音、特に、バスラインを生かして弾くことで、バッハの無伴奏に、多くに日本人が期待する内面性と精神性を備えた演奏になっていた。

この演奏家には、バッハ無伴奏の全曲演奏会も予定されていて、以前の演奏から、如何なものか、と思っていたが、こういう解釈で演奏するなら、精神性は備えつつ、全曲聴いても、途中から疲れてくるようなことにならない演奏会になるのかも知れない。

休憩を挟んで、チャイコフスキー。

冒頭のホルンへの指揮は、けしかけるそぶりがまるでない落ち着いたものであったが、それでいて、ホルンパートは雄々しく咆哮する。

そして、続く金管陣への展開も、立体的に響いてくる。

これは、譜面に忠実な演奏というのとは、やや違う。
音符に書かれていない部分まで指揮者が感じ取っているタイプの演奏である。

外見からはそれらしくないが、ロシア人なのであろうか(あとでパンフレットを見ると、北欧人であった)。

チャイコフスキーの4番というと、もうあの曲は良くわかっているから、という印象があるが、この演奏は、そんな風に感じさせない。

一番の特徴は、音の強い楽器が、その他の楽器の音をかき消すようなことにならず、いろいろな音が聴こえてきて、作曲家が聴衆に聴かせたいと思っていた音は、こんな風だったのかな、と納得させられるところだろう。

それでいて、たまには、トロンボーン族がばりばりやってくれる。

演奏が始まると、ロシアの大平原や、白樺のさざ波や、草木の臭いを感じたのは確かなので、そうした力量を持った指揮者なのだろう。

そして、第四楽章で、大太鼓がドンと鳴ると、空気振動から来るのか、それとも、床から伝わるのか、響きを皮膚で
感じる。

耳以外で音楽を聴かせてくれるホールはなかなかないので、これは新鮮な経験だった。

終結部は、今までに聴いたことのないような演奏で、何をどうやったのかは解らないのだが、心を持っていかれるような決まり方だった。

終演後、ロビーに出ると、「国技館の焼き鳥」という謳い文句が聞こえたような気がしたので、聞き違いだろうと思いつつ売り場を覗くと、確かに焼き鳥を売っている。
相撲観戦をした時の遠い味覚が蘇り、国技館のお土産で貰った時の箱に比べると、かなり小さく感じたが、とにかく購入した。
自宅に戻り、冷えたまま食しても、確かに国技館の焼き鳥の味覚である。クラシック音楽を鑑賞した後に焼き鳥を購入することに抵抗がない向きには、強くお勧めできる。

2017年2月4日(土)14時 すみだトリフォニーホール   
新日本フィルハーモニー交響楽団 2016/2017シーズン
定期演奏会ルビー<アフタヌーン コンサート・シリーズ> 第4回
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64(独奏 レイ・チェン)
チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調 op.36

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