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2016年9月

二期会 「トリスタンとイゾルデ」 (2016/9/18)

こういうワーグナー演奏もあるのか、とワーグナー鑑賞の新たな道が拓けたように感じた公演だった。

従来のイメージでは、万全の体調で臨んでも、終わってみればヘトヘトに疲れる、という予想だったが、意外なほど疲労感がなかった。

また、濃い内容が延々と続くので、もう満腹なの、更にメイン料理が運ばれてくる、西洋料理のフルコースを無理やり食べさせられる、というイメージもあったが、そんな感覚もなく、とくに、さぞかし長く感じるであろう、と予想していた第二幕が、あっという間に終わったように感じた。

その最大の理由は、おそらく、管弦楽にある。

ワグネリアンが求めるワーグナー演奏ではないかも知れないが、こんな風なあっさり味の演奏もあるのか、という軽快な響きが特徴だった。
それでいて音楽的には素晴らしく、オーケストラを自在に操る力量は、間違いなく世界の一流である。

ワーグナーの作品が長大だと言っても、作曲家は、これでちょうど良い長さ、と思っていたのであろうから、こういう演奏をしてくれると、作曲者の適度感が共有できる。

演出では、第二幕で、主人公のふたりが語り合っていると、いつの間にか、草原のように見えた場所が海になっている、という趣向は、他の何も目に入らなくなったふたりの内面世界をよく示していた。

歌唱では、イゾルデの侍女役が、聴いていて、役柄の心情が伝わって来て、最も印象に残った。

東京二期会オペラ劇場 トリスタンとイゾルデ
オペラ全3幕 日本語字幕付き原語(ドイツ語)上演
台本・作曲:リヒャルト・ワーグナー
2016年9月18日(日) 14時 東京文化会館
ヘスス・ロペス=コボス 指揮 読売日本交響楽団
演出  ヴィリー・デッカー
トリスタン     ブライアン・ レジスター
マルケ王     清水那由太
イゾルデ      横山恵子
クルヴェナール  大沼 徹
メロート      今尾 滋
ブランゲーネ   加納悦子
牧童         大野光彦
舵取り       勝村大城
若い水夫の声  新海康仁
合唱 二期会合唱団

浦野実成 & 内多瑞子 デュオ・リサイタル (2016/9/16)

ドイツ在住の日本人音楽家が一時帰国してのリサイタルである。

西国分寺の駅を降りて、目当ての建物を捜してみる。
真新しい建物をイメージしていたら、駅前から見えた古色蒼然としたコンクリート建築がそれであった。

さて、ドイツリートを通しで実演を聴いたことがあっただろうか。
なかったかも知れない。

最初の4曲は、ピアノが、シューベルトの楽譜から、どうやってこのような立体的な音響が創れるのだろうか、と思えるほど、バスと内声と高音とが、それぞれメリハリをつけて交互に現れ、思わず耳を惹かれる。
歌手の立ち上がりを断固として支えるピアノ奏者の決意が感じられる演奏だった。

5曲目以降は、歌とピアノとが一体となって1つの音楽世界をつくっている感覚になってゆく。

しかし、音楽世界と言うなら、やはり後半である。

歌手が、開演冒頭の解説で語っていた通り、この歌曲集は、後半から、音楽が大きく変わる。

有名曲は、だいたい前半で出尽くした感じなのだが、音楽の深さという点では、明らかに後半だし、晩年のピアノソナタにも聴かれる語法が随所に聴かれ、まさしくシューベルトの世界、と感じさせる。

おそらく、この後半こそが、死を意識した晩年のシューベルトが描きたかった世界なのであろう。
しかし、いきなり聴衆をこの世界に引き込むことはできないので、伏線として、前半に耳当たりの良い曲を並べ、それらが、後年、有名曲と言われるようになった、と考えると、作曲家の意図と世の中の反応との、微妙なずれが感じられて興味深い。

そして、最後から2つめの曲で、歌手からは、この日最も美しい響きの声が流れ出ていた。

コンサートの価値は、詰まるところ、このような、音が心に直接響いて来る、と感じられる瞬間を持てるかどうかで決まるように思う。

浦野実成&内多瑞子 デュオ・リサイタル「冬の旅」
2016年9月16日(金)19時  国分寺市立いずみホール
シューベルト 歌曲集「冬の旅」 
浦野実成(バス)内多瑞子(ピアノ)

藤原歌劇団 「カプレーティ家とモンテッキ家」 (2016/9/10)

この作曲家の作品を聴くのは、初めてである。

幕が開くと、そこにはジュリエットの一族が屋敷に集まっていて、身内を殺したロミオへの憎しみを歌う。

つまり、ロミオとジュリエットは、既に出会いを済ませていて、両家の争いの中での、ロミオによる殺人も既に起きている。

シェイクスピアの台本では、これは両家の若者たちの小ぜりあいの中での出来事であるが、ここでは、皇帝派(ロミオの一族)と教皇派(ジュリエットの一族)との武力抗争、いわば戦争行為の中での出来事となっている。

そして、ロミオへの復讐を誓う武人に対して、ジュリエットの父親は、娘を彼に与えることを宣言し、今宵の婚礼の手配を指示する。

すると、そこに、使者に扮したロミオが登場する。

ということで、シェイクスピアとは筋書がまるで違うが、音楽としては、この武人が登場することで、まず彼のテノールのアリアが響いてから、メゾソプラノのロミオが歌い、次の第二場では、ジュリエットが愛していない男に嫁がされる悲哀を切々とソプラノで歌い上げる、という流れになっていて、第一場が、このジュリエットのアリアへの見事な音楽的な伏線になっていて、的確に前半の演奏効果の山が導かれていて、音楽的な構成に納得感がある。

この第二幕は、ジュリエットの部屋であり、彼女の家庭教師らしき男(台本上の設定は医師らしい。あとで彼女に秘薬を渡す役割だからであろう)に導かれて、ロミオは部屋に入ってきてしまう。
つまり、有名なバルコニーのシーンは出てこない。

そして、両家の抗争の歴史を超えたふたりの愛が歌われるのではなく、ジュリエットを連れて逃げようとするロミオに対して、ジュリエットは父との絆を断ち切ることが出来ないことをはっきりと告げる。

美しい音楽でありながら、内容は心情のすれ違いであったりするところは、後年のヴェルディを想起させる。

最後の手段として使われる、死んだように見せかける秘薬は、この台本では神父は登場しないので、家庭教師役に見える医師からジュリエットに渡される。

墓所に安置されたジュリエットのもとに駆けつけたロミオが毒薬を飲み干したタイミングで、ジュリエットは息を吹き返す。

無論、これは、ここでふたりの愛の絶唱がなければオペラとして完結しないからであろう。

ロミオが息絶えると、ジュリエットはあれこれ口上を述べることもなく、短刀を胸に突き刺す(ではなく、頸を掻き切る動作を舞台の上ではしていた)。
その次の瞬間には、両家の者たちがどやどやと入って来て、さあ闘争だ、と叫んだところで、息絶えたふたりの姿に接し、一瞬にして積年の憎悪が吹き飛ぶ。

このあっという間の終わり方は、物語としては唐突であるが、音楽としての演奏効果抜群で、思いがけない感動に襲われた。

ヴェルディ以降のイタリアオペラの、誰かが死ぬことで終結する、という展開には、感情移入は難しいが、こんな終わり方が、あっけなく、ではなく、これしかない、という風に感じられたのは意外でもあり、ベッリーニの才能の一面を感じたようにも思えた。

藤原歌劇団公演 「カプレーティ家とモンテッキ家」
ベッリーニ作曲 オペラ全2幕 〈字幕付き原語上演〉
2016年9月10日(土)14時 新国立劇場
山下一史指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
演出 松本 重孝
ロメオ    向野 由美子
ジュリエッタ 高橋 薫子
カペッリオ  彭 康亮
テバルド   笛田 博昭
ロレンツォ  東原 貞彦
藤原歌劇団合唱部

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